封 人 の 家  ー 旧 有 路 家 住 宅 ー
山形県最上郡最上町堺田
 「封人の家」(旧有路家住宅)「陸羽街道 中山越の新庄戸沢藩領 堺田村に置かれた大型の庄屋(農家)住宅です。建物は江戸初期の建築物と推測され、規模は桁行 26.5m×梁行 11.5mの寄棟・茅葺様式で正面玄関部分のみ千鳥破風状の屋根になっています。有路家はもともと延沢城主 野辺沢氏の家臣と伝えられ、代々 堺田村の肝煎り庄屋をつとめていました。このため有 リーフレットの所収図
現地リーフレットの所収図
路家住宅は堺田村の役屋の性格を持ち、また問屋や旅籠の機能もそなえていたとされます。元禄二(1689)年五月十五日、俳人 松尾芭蕉は門人の河合曽良をともなって尿前の関⇒中山越を経て出羽国堺田村に入ります。この時のことを、芭蕉は「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す」『おくの細道』に記し、「蚤虱 馬の尿する 枕もと」 と一句詠んでいます。また同行した曽良は「十七日快晴、堺田ヲ立ツ」と日記に記し、芭蕉一行は村の若者の案内で山刀伐峠を越えて尾花沢を目指しました。昭和44(1969)年12月、国の重要文化財に指定、同46(1971)年6月から2年9ヶ月かけて解体復元工事を実施。(場所はココです)
 建物全景
 土間
 ござしき
 ながざしき・おくざしき
 床の間