若林家住宅は明和6(1769)年の火災焼失後、18世紀末期に建築された村上藩士の中級武家屋敷です。若林家はもともと甲斐武田氏の遺臣と伝えられ、延宝2(1674)年
村上藩主 内藤家に召し抱えられ、天和2(1682)年には内藤分家の家老職をつとめて二百石を給されていました。その後、内藤本家(本藩)に戻されると百五十石を給される中級の藩士として、大目付、長柄奉行、普請奉行、町奉行、三条奉行等をつとめたとされます。天明7(1787)年の『越後村上分限帳』には「者頭」の項に「一、百五拾石 若林七太夫」と記載され、十八名の足軽を配下においていました。また明和6(1769)年の『村上藩士一覧表』には「給人 百五十石 若林佐市朗」と記されています。母屋建物は寄棟造、茅葺屋根の曲屋形態。表門は寄棟造、茅葺屋根の長屋門。昭和52(1977)年、江戸後期の典型的な中級武家屋敷の遺構として国の重要文化財に指定。(場所はココです) |
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