大 久 保 館
山形県村山市大久保
立地・構造
 大久保館は村山盆地の北西部、最上川西岸の河岸段丘上(比高10−15m)に築かれた平山城で、単郭の城館と推測されます。城の規模は東西130m×南北150mほど、城は南ー東側を段丘崖で画し、北ー西側は人為的な()で区画され、また南麓の千座川を外濠としていたと思われます。現在、城址は大久保小学校の校地や一般の住宅地となり改変されていますが、北西部にL字状にクランクした濠祉が確認できます。
 築城時期は不明。『最上氏系図(宝幢寺本)』によると最上家三代 修理大夫満直の三男 満頼が「大窪殿」と称していることから、14世紀末ー15世紀初期頃、満頼が村山郡の最上川西岸に所領を分知され大久保館を築いたものと推測されます。大窪殿のその後の消息は伝わっておらず、早い時期に断絶したものと思われます。
歴史・沿革
大久保館 北側の濠祉
メモ
最上氏の庶子家 「大窪殿」の館城
形態
平山城
別名
大久保楯 
遺構
郭(平場)・濠祉
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成18(2006)年9月22日
大久保館は東側に村山盆地を望む小高い丘に築かれた平山城で(写真左上・右上)、南側を流れる千座川を自然の濠としています。(写真左) 現在、城址は大久保小学校の校地になっており遺構等は確認できませんが、北西側に巻かれた濠祉が比較的 良好な状態で確認できます。(写真左下ー西側の濠 写真右下ー北側の濠) 濠の規模は幅10−15mほど。
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