遠 藤 野 城
秋田県大仙市(旧中仙町)長野字遠藤
立地・構造
 遠藤野城は仙北平野の北東部、玉川左岸の玉川に隣接した微高地(自然堤防?)に築かれた平城と推測されます。規模は推定 東西250m×南北50m以上(北側が玉川により消失いるため不詳)、土塁と()で囲った複郭構造(?)の城館と推測されます。現在、城址は宅地に囲まれ一部 改変されていますが、南側部分は残存し 南側の土塁と()祉が確認できます。規模は()が幅10m、土塁が下幅2−3m×高さ1mほど。大手は南側に開いていたと思われます。基本的に
村落領主の日常居館、また玉川舟運の監視機能があったものと思われます。

 築城時期・築城主体・城主ともに不明。天正18(1590)年、豊臣秀吉の「戸沢領三十五城破却令」に記されていることから、 戦国期 角館城主 戸沢氏の支配下にあった村落領主、あるいは戸沢氏の一族が居住していたと思われます。
歴史・沿革
遠藤野城 南側の土塁
メモ
「戸沢三十五城」
形態
平城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・土塁・濠祉・土橋?
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年11月30日
遠藤野城は玉川の南岸、遠藤野地区が城址になります。(写真左上ー南側からの遠景) でっ、城址は宅地化により消滅しているかと思ったのですが、・・・・・ 民家は城址の南側を巻くように建てられています。内部の規模は東西250m×南北50mほど、北側が玉川によって削られており、実際 もっと大きかったのでしょう。(写真右上ー内部 写真左ー西側縁部) でっ、民家に接した南側に()の痕跡と堀に面した土塁が確認できます。(写真左下ー()祉 写真右下ー土塁) 規模は堀が幅10m、土塁が下幅2−3m×高さ1mほど。
土橋?(写真右) 玉川に面した西側に見られるもの。大手虎口は南側中央に設けられていたと推測されることから、サブ虎口だったのかも。また後世の改変とも推測されますが・・・・・。
 
秋田の中世を歩く