曹 渓 寺
秋田県大仙市(旧中仙町)長野
 慶長7(1602)年、佐竹義宣の秋田転封に同道した佐竹北家の佐竹義廉は仙北郡長野に「所領」を宛がわれて紫島城を築き、この際 菩提寺の常光院を常陸から長野に移しました。しかし元和7(1621)年、義廉の養子となっていた佐竹義直(佐竹義重の五男、佐竹義宣の弟)が佐竹宗家の世嗣に指名されたため佐竹北家は絶家され、また元和9(1623)年 紫島城「一国一城令」により廃城となります。そして寛永5(1628)年、大納言 高倉久慶の次男 主計義隣(よしちか)(佐竹義宣の妹の子)が佐竹北家を相続して北家を再興すると、明暦2(1656)年 嗣子なく廃絶になっていた蘆名氏に代わって「角館所預」となり、この地を離れて角館に移りました。そして常光院も宝暦3(1753)年、佐竹北家の御霊屋を「萬休山 曹渓寺」に託して角館に移築されました。(場所はココです)
本堂 
佐竹北家
御霊屋
内部には慶長19(1614)年の「大阪の陣」に出陣して遠江国 掛川で病死した佐竹義廉の墓碑など六基の墓碑が安置されています。
佐竹北家
御霊屋
佐竹北家
御霊屋
秋田の中世を歩く