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浪 岡 北 畠 氏 の 墓 所 |
青森県青森市(旧浪岡町)浪岡北中野 |
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浪岡北畠氏は南北朝期、後醍醐天皇に近侍した「鎮守府大将軍」 北畠顕家、弟の左近衛少将 顕信を祖とし、南北朝末期頃 顕家の嫡子 顕成、あるいは顕信の次子 守親が根城(八戸)南部氏の庇護を受けて この地に入封し浪岡氏を称したとされます。以後、浪岡北畠氏は浪岡御所を拠点に津軽平野の北東部を支配していました。しかし天正6(1578)年の顕村の代に浪岡城は「津軽一統」を掲げて挙兵した大浦為信の攻撃を受けて陥落、浪岡北畠氏は滅亡しました。なお墓所には明治初年頃、数基の五輪塔が残っていたようですが、戦時中に多くの五輪塔が遺失したようです。また「北畠累代墓」の記銘碑は明治15(1882)年の天皇行幸に随行した太政大臣 三条実美の書によるもの。(場所はココです) |
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