能 登 国 分 寺
石川県七尾市国分町
 「能登国 国分寺」は飛鳥時代末期、この地を支配した能登臣(のとのおみ)氏の一族が建立した大興寺を初源とします。天平13(741)年、仏教に深く帰依していた聖武天皇は「国分寺建立の詔」を発布し、各国に国分寺が建立されましたが、能登国には国分寺を建立する経済的な余裕がなく、このため国分寺の建設はなされませんでした。しかし承和10(843)年、春枝王が能登国司として赴任すると、国分寺の建立に着手し、もともとあった大興寺を拡張整備し直して国分寺に昇格させました。元慶6(882)年、国分寺は台風の被害を受けて大破、のちに再建されましたが、南北朝ー室町期に荒廃し、天正5(1577)年 戦乱の中で焼失しました。昭和45(1970)年、本格的な発掘調査が開始され、9次にわたる発掘調査により金堂、塔、講堂、南門、塀、建物群が出土。同49(1974)年、「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定。現在は史跡公園として整備され、出土した遺構を一部復元しています。(場所はココです)
 現地説明板の図
 復元南門
 南門に連続する
回廊祉
 中門祉
 五重塔祉
 塔の礎石
 金堂祉
 講堂祉