「贄川の関」は中山道 木曽路の北端 贄川宿に設けられた関所です。関所の歴史は古く、建武年間(1334-36年) 木曽義仲の七世孫 木曽讃岐守家村が、この地に関所を設けて四男の家光を配したと伝えられます。その後、「贄川の関」は木曽氏の「北の関門」として機能し、天正10(1590)年 木曽領が豊臣秀吉領になると秀吉は「贄川の関」を木曽の材木流出を監視する番所として妻籠番所とともに取り立てました。 |

現地リーフレットの所収図 |
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慶長5(1600)年の「関ヶ原」後 木曽谷が徳川領になると家康は改易となった木曽家の旧臣 山村甚兵衛良勝を木曽代官に任じます。その後、「福島の関」が新たに設置されると「贄川の関」は「福島の関」の添番所(副関所)として木曽の材木の流出や出女(女改め)を取り締まる番所として機能し、明治2(1869)年に廃止、破却。現在の関所建物は昭和51(1976)年、古図をもとに間取りや敷地面積を忠実に復元したもの。(場所はココです) |
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座敷(現地リーフレットから) |
上番所(現地リーフレットから) |
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