尿 前 の 関
宮城県大崎市(旧鳴子町)鳴子温泉字尿前
 尿前の関「陸羽街道」 中山越の陸奥側の狭隘地に設けられた関所で、古来より出羽ー陸奥の境目の軍事的要衝である大崎平野の谷口に位置します。創建時期は不明ですが、「元慶の乱」(878年)後 尿前の関の前身である岩手の関が設けられたことを初源とし、戦国期 遊佐氏、湯山氏が関守をつとめたとされます。戦国末期、大崎領が伊達政宗に宛がわれ仙台伊達藩が成立すると尿前の関「尿前境目」と呼ばれ、寛文10(1670)年 尿前境目が構えられ、岩出山伊達家から関守が派遣されました。藩政期の記録によると番所敷地の間口 四十間(72m)×奥行 四十四間(80m)、敷地面積1760坪の中に番所御役屋、役宅、土蔵、馬屋など十棟の建物があったとされます。元禄二(1689)年、この地を訪れた松尾芭蕉は「南部道遥かにみやりて、岩手の里に泊まる。小黒崎、みづの小島を過て、なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関を越す。大山をのぼって日既暮ければ、封人の家を見かけて宿を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。蚤虱 馬の尿する 枕もと」『おくの細道』に記しています。(場所はココです)
 模擬冠木門
 番所建物祉か?
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