仁賀保陣屋は平沢地区の中央部、現在 仁賀保神社の祀られる小丘陵と周囲の平場が陣屋祉とされ、現在は仁賀保公園となっています。規模は推定 東西180m×南北150mほど、往時 陣屋は北ー西側を濠で画し、現在 北西側の濠が残存しています。表門は西側中央に構えられ、内部には御役屋、米蔵、牢屋等の施設が置かれていました。寛永3(1626)年、仁賀保蔵人良俊が仁賀保家の家督を継ぐと、良俊は次弟の内膳誠政に二千石を、三弟の内記誠次に千石を分知しました。このため幕府旗本となった誠政、誠次兄弟は知行地の平沢に共同で仁賀保陣 |
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屋を構え江戸に在府しました。(場所はココです) |
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(写真左上) 陣屋の北側。濠は消滅していますが、かすかな段差が確認できます。 |
(写真右上) 北西側に残る濠祉。幅5−6mほど、陣屋側は石積になっています。 |
(写真左) 陣屋の西側中央に表門が設けられていましたが、たぶん現在の仁賀保神社鳥居のあたりなのでしょう。 |
(写真左下・右下) 陣屋内部は2段構造になっていて、小丘陵(上段)の北ー西ー南側を巻くように下段平場が敷設され、内部には御役屋、米蔵、牢屋等の施設が設けられていたようです。 |
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丘陵上の上段に仁賀保神社が祀られていますが、陣屋の施設が置かれていたかは不明。(写真左上・右上) 規模は東西100m×南北60mほど、内部はケッコウ改変されています。 |