平 沢 館
秋田県にかほ市(旧仁賀保町)平沢字坂ノ下
立地・構造
 平沢館は日本海に面した平沢地区に築かれた平城らしいですが、明治以降の開発等により遺構は消滅し、規模・構造等は不明。館祉は現在の安楽寺周辺に想定されているようです。

 築城時期・築城主体ともに不明。鎌倉期、由利郡を支配した由利将監維義とその一族が拠したと伝わります。平沢館周辺には応仁元(1467)年 仁賀保氏が勧請したと伝えられる八幡神社があり、また安楽寺は真言宗の古刹
で延文年間(1356−61年)の開基と伝えられます。
歴史・沿革
八幡神社から仁賀保神社(陣屋)を望む
メモ
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形態
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別名
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遺構
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場所
場所はコノヘンらしいです
駐車場
周辺に駐車スペースはありません(管理人は平沢漁港駐車場を借用)
訪城日
平成18(2006)年11月6日 平成25(2013)年4月29日
平沢館の場所は明確ではありませんが、独立状の微高地になっている安楽寺周辺が館祉に想定されているようです。(写真左上ー北西側からの近景 写真右上・左ー安楽寺)
八幡神社(写真左下・右下) 安楽寺の北西100mの小丘陵上にあり、応仁元(1467)年 仁賀保氏の初代 友挙が勧進したと伝えられます。
建武碑(写真右) 建武重二暦(1338年)十月入日と刻字された板碑。梵字種子は金剛界大日如来(バン)。右側に正中元(1324)年、鳥海弥三郎に滅ぼされた由利仲八郎政春の嫡子 丁刃丸の供養塔が建立されています。
 
建武碑
ー 仁 賀 保 陣 屋 ー
 仁賀保陣屋は平沢地区の中央部、現在 仁賀保神社の祀られる小丘陵と周囲の平場が陣屋祉とされ、現在は仁賀保公園となっています。規模は推定 東西180m×南北150mほど、往時 陣屋は北ー西側を濠で画し、現在 北西側の濠が残存しています。表門は西側中央に構えられ、内部には御役屋、米蔵、牢屋等の施設が置かれていました。寛永3(1626)年、仁賀保蔵人良俊が仁賀保家の家督を継ぐと、良俊は次弟の内膳誠政に二千石を、三弟の内記誠次に千石を分知しました。このため幕府旗本となった誠政、誠次兄弟は知行地の平沢に共同で仁賀保陣
を構え江戸に在府しました。(場所はココです)
(写真左上) 陣屋の北側。濠は消滅していますが、かすかな段差が確認できます。
(写真右上) 北西側に残る濠祉。幅5−6mほど、陣屋側は石積になっています。
(写真左) 陣屋の西側中央に表門が設けられていましたが、たぶん現在の仁賀保神社鳥居のあたりなのでしょう。
(写真左下・右下) 陣屋内部は2段構造になっていて、小丘陵(上段)の北ー西ー南側を巻くように下段平場が敷設され、内部には御役屋、米蔵、牢屋等の施設が設けられていたようです。
丘陵上の上段に仁賀保神社が祀られていますが、陣屋の施設が置かれていたかは不明。(写真左上・右上) 規模は東西100m×南北60mほど、内部はケッコウ改変されています。
秋田の中世を歩く