待 居 館
秋田県にかほ市(旧仁賀保町)樋目野字待居
立地・構造
 待居館は仁賀保平野の中央西部、白雪川左岸の微高地(比高3−5m)に築かれた平城らしいです。規模は推定 東西180m×南北100mほど、内部は明治以降の宅地化や県道建設等の改変により遺構は消滅し構造は不明。中央南縁に土塁祉?と思われる土壇(櫓台?)が残るのみ。基本的に白雪川の氾濫原を自然の濠とした単郭(複郭?)構造の城館と推測されます。

 築城時期・築城主体ともに不明。伝承によると正平5(観応元)(1350)年、主家である常満律師(鳥海盛満)を殺害した鳥海氏の家老 進藤長門守が拠した居館とも。しかしその後、進藤長門守は同じく鳥海氏の被官だった栗山館主 渡辺隼人と対立し、正平18(貞治2)(1363)年 両者の争いによって疲弊した百姓一揆により滅ぼされたと伝えられます。また応仁元(1467)年、「仁賀保郷」に入部した「由利十二頭」 仁賀保氏の祖 大井大和守友挙が山根館を改修して移り住むまで拠した居館とも。仁賀保氏が山根館に移ったのちは一族あるいは家臣が居住したと思われます。
歴史・沿革
待居館 南端の土塁(櫓台?)
メモ
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形態
平城(丘城?)
別名
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遺構
郭(平場)・土塁?(櫓台?)
場所
場所はココです
駐車場
路上駐
訪城日
平成18(2006)年11月6日 平成28(2016)年5月29日
待居館は仁賀保平野の中央部、白雪川西岸の微高地に築かれた平城で、現在は百目木集落に包括され内部は宅地化されています。(写真左上ー北側からの遠景 写真右上ー南東側からの遠景 写真左ー南側からの遠景) たぶん 往時、白雪川の氾濫原を要害としていたと思われます。でっ、遺構としては南縁に残る土塁(土壇・櫓台?)のみ。(写真左下) 土塁の規模は天幅10m×長さ20m×高さ3mほど、現在は稲荷社が祀られています。(写真右下)
(写真右) 内部
 
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