根 本 寺
新潟県佐渡市(旧新穂村)新穂大野
 正式名称は「塚原山 根本寺」。日蓮宗の霊蹟本山とされます。根本寺のあるこの地はもともと佐渡国仲平野の死者を捨てさる場所とされ「塚原」と呼ばれていました。文永8(1271)年、『立正安国論』の著作により思想犯として幕府に捕縛された日蓮聖人は佐渡に流刑となり、「塚原」と呼ばれたこの地に草庵 「三味堂」を創建し、最初の半年間を過ごしたと伝えられます。(『根本寺縁起』) この間、日蓮は諸国から佐渡に集まる他宗派の僧と問答を行ない(「塚原問答」)、また日蓮宗の根本経典 『開目抄』『観心本尊抄』を著したと伝えられます。その後の天正15(1587)年、妙覚寺十一世 日典上人により妙覚寺の末寺 正教寺として開基。十三世 日衍(にちえん)上人の代の元和年間(1615−1624年)、大檀那 味方但馬守の庇護を受けて伽藍を整備し、独立本山根本寺に改称。現在、境内には本堂、祖師堂、三昧堂、千仏堂、妙見堂、七面堂、二王門、二天門、太鼓堂、鐘堂、宝蔵、経蔵、戒壇塚、庫裡等の建物が建造されています。(場所はココです)
 戒壇塚
佐渡に流罪となった日蓮上人が文永8(1271)年11月1日より寓居した塚原三味堂の趾地とされます。文永9(1272)年、佐渡に流罪になっていた天台宗の僧最蓮房日淨上人は日蓮に帰依し、この地で本門戒壇の本義を受戒されたと伝えられます。
 三味堂
天保年間(1830−44年)、妙感尼なるものが建立。内部には当時の将軍家斎の還暦を祝い、厄除けのための粗像一躯が安置されています。
 二王門
寛永3(1626)年、十三世日衍上人により造営。明治21(1888)年、瓦葺に改修。内部には仏教の護法善神 金剛力士像が一対で安置されいます。
 金剛力士像
 二天門
宝暦年間(1751−63年)、二十七世日遙上人により創建。慶応年間(1865−68年)、日宣上人が瓦葺に改修。内部には四福神が安置されています。
 太鼓堂
明治12(1879)年、改築。
 本堂
寛文12(1672)年、二十世日行上人により創建。明治38(1905)年、日静上人により瓦葺に改修。
 日蓮聖人像
 祖師堂