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釜沢館は馬淵川の左岸、寺館山(標高250m)から東方向に延びた支尾根先端(比高40m)に築かれた平山城で、金峰庵の谷を挟んで構築された西側の本館と東側の寺館(常楽寺館)からなるようです。このうち本館は東・西側に沢が切り込んだ舌状台地に築かれ、南側の丘陵基部を堀切で分断して城域を区画しています。規模は東西70m×南北150mほど、内部は南から北方向にシンプルな3段の段郭群からなり、東・西側の沢沿いに腰郭を敷設しています。寺館は未訪城のため詳細不明。
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築城時期・築城主体ともに不明。一説に天文10(1541)年、甲斐武田との抗争で没落した信濃国守護職 小笠原長時の一族 小笠原淡路守重清が明野に下向して築いたとも。(信濃国守護職 小笠原氏が没落したのは天文19年なのですが ・・・・・) 天正19( 1591)年に勃発した「九戸の乱」に際し、釜沢重清(おい!!! 何歳なんだよ?)は九戸左近将監政実方に加担し、南部信直方の目時館と対峙しましたが、乱後 南部勢の討伐を受けて釜沢館は落城、重清は討死にしたと伝えられます。 |