山 木 城
静岡県伊豆の国市(旧韮山町)韮山山木
立地・構造
 山木館は田方平野の中央東縁、東から西方向に張り出した丘陵先端(比高10m前後)に築かれた平山城らしいです。現在、館祉は一般の民家敷地になっていて規模・構造ともに不明。同地は東方向から田方平野を望む高所に位置します。

  築城時期は不明。築城主体・館主は平安末期の在庁官人 平兼隆とされます。兼隆は桓武平氏大掾氏の庶流 和泉守信兼の嫡子と伝えられ、もともと京で検非違使少尉(判
官)をつとめていました。しかし治承3(1179)年、兼隆は理由不明ながら役職を解任され、伊豆国 「山木郷」に流罪となります。そして同年、兼隆は平時忠領の「伊豆目代」に任ぜられ、この頃 山木館は築かれたものと思われます。しかし翌4(1180)年、源頼朝による平家打倒の旗揚げの際、山木館は頼朝勢の攻撃を受けて陥落し、兼隆は加藤次景廉に討ち取られたと伝えられます。
歴史・沿革
山木館 西側からの近景
メモ
「伊豆の目代」 平兼隆の居館
形態
平山城か?
別名
山木判官平兼隆館
遺構
・・・・・・・・・
場所
場所はコノヘンらしいです
駐車場
江川邸の駐車場借用
訪城日
令和2(2020)年3月6日
山木館 遠景
山木館は韮山山木地区背後の丘陵先端に築かれた城館らしいのですが、館祉は民家敷地になっていて遺構等はないようです。(写真左上ー西側からの遠景 写真右上ー南西側からの近景)
香山寺 山木館から東方350mに位置する山木兼隆の菩提寺。正式名称は「景雲山 香山寺」、宗派は臨済宗建長寺派。創建は久寿元(1154)年、山木兼隆の開基と伝えられます。(・・・・・?) その後、寺勢は衰退し、北条早雲、内藤豊前守信成により再興され現在に至っています。(写真左ー石門・旧韮山県庁の門 写真左下ー本堂) 
山木判官平兼隆の供養塔
山木判官平兼隆の供養塔(写真右上)、兼隆の戒名は
「香山寺殿興峰兼隆大禅定門」