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山木館は田方平野の中央東縁、東から西方向に張り出した丘陵先端(比高10m前後)に築かれた平山城らしいです。現在、館祉は一般の民家敷地になっていて規模・構造ともに不明。同地は東方向から田方平野を望む高所に位置します。
築城時期は不明。築城主体・館主は平安末期の在庁官人 平兼隆とされます。兼隆は桓武平氏大掾氏の庶流 和泉守信兼の嫡子と伝えられ、もともと京で検非違使少尉(判 |
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官)をつとめていました。しかし治承3(1179)年、兼隆は理由不明ながら役職を解任され、伊豆国 「山木郷」に流罪となります。そして同年、兼隆は平時忠領の「伊豆目代」に任ぜられ、この頃 山木館は築かれたものと思われます。しかし翌4(1180)年、源頼朝による平家打倒の旗揚げの際、山木館は頼朝勢の攻撃を受けて陥落し、兼隆は加藤次景廉に討ち取られたと伝えられます。 |