大日寺は『旧記』(『妙学坊文書』)によると天長年間(824-34年)、弘法大師空海により湯殿山とともに開山された真言密教寺院でした。その後、伽藍は荒廃しましたが、応永年間(1394-1428年)
道智上人が再興し、さらに天文年間(1532-55年)初期頃 勢真上人が神仏習合の修験の場 「金色山 大日寺」として再興し、江戸期に「出羽三山湯殿山派の別当四ヶ寺」の一つとして繁栄しました。そして貞享年間(1648-88年)、大日寺には勅命により「国家鎮護玉体安穏の祈願寺」の免許が下され、最盛期 境内には六軒七坊の伽藍が構えられ、門前に二十六坊の宿坊が設けられていたようです。大日寺時代の御本尊は「大日如来」「阿弥陀如来」「観世音菩薩」(米沢市小野川の宝珠寺に移譲)、「地蔵菩薩像」(中村地蔵尊に移譲)。明治初年の廃仏毀釈により伽藍は破棄され、「大日寺跡 湯殿山神社」に改称して現在にいたっています。なお明治36(1904)年の火災により仁王門、山王堂、鐘楼を残して伽藍は焼失しています。湯殿山神社の御祭神は大山祇神 |
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湯殿山碑 |
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現地説明板の伽藍復元図
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