豊 後 館
秋田県由利本荘市(旧西目町)西目町西目字豊後沢
立地・構造
 豊後館は西目平野の南東部、北面に沖積平野を望む微高地(丘陵の先端 比高5m弱)に築かれた丘城(平城?)です。規模は東西50m×南北50mほど、内部は1mの段差で区画された南北の複郭構造になっています。このうち南上段が東西30m×南北15−20m、北下段が東西20m×南北10mほど。なお丘陵の繋がる南以外の三方に濠が巡らされ、虎口は北西端に設けられています。基本的に「村地頭」クラスの恒常的な居館と推測されます。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。潟保館の支城と推測され、「由利十二頭」 潟保氏の一族または被官が拠していたと思われます。
歴史・沿革
豊後館 北側からの近景
メモ
潟保館の支城か?
形態
丘城(平城?)
別名
井岡館
遺構
郭(平場)・虎口?
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成28(2016)年5月29日
豊後館は西目平野の南東部、井岡地区東方の丘陵先端に築かれた丘城(平城)です。(写真左上ー北西側からの近景 写真右上ー北東側からの近景 写真左ー北側からの近景) でっ、館祉へは北西側からアプローチできます。(写真左下) 内部は1mの段で区画された南北の2段構造。(写真右下) 規模は北下段が東西20m×南北10m、南上段が東西30m×南北15−20mほど。背後に堀は設けられていなかったようです。現在、内部は開墾地ではないようで、きれいに下草が刈り込まれています。
(写真左上) 北下段
(写真右上) 南上段 
客殿森(写真右) 豊後館から北西600mに位置する南北に細長い丘。伝承によると天正14(1586)年、仁賀保挙誠(きよしげ)と矢島大井満安の仲介を潟保氏が執り行い、ここで両者の和議が成立したようです。内部は東西10−15m×南北80mほど(写真左下)、北端に正一位稲荷が祀られています。(写真右下)