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(大手門 現地説明板の図) 大手門の前面には外濠が穿たれ、大手門とは土橋で繋がっていたようです。でっ、大手一の門は冠木門、二の門は櫓門だったようです。 |
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さ〜〜〜て、30数年ぶりに小田原城へやってきました。以前、来たのは昭和だったでしょう。ということで まずは大手門に向かいました。(写真左上) 大手門は三の丸の中央東端に設けられた桝形構造の門だったようですが、現在は二の門(櫓門)北側の石垣基壇が残るのみ。(写真右上) でっ、大手門から東進すると二の丸の東濠(中濠)にぶちあたります。(写真右下) |
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東中濠はその後、二の丸の東⇒馬屋曲輪の南側のカバーします。(写真左上) |
でっ、管理人は馬屋曲輪北東隅の馬出門から二の丸へアプローチしました。(馬出門への土橋) 馬出門は桝形構造の城門で一の門、二の門ともに高麗門。平成21(2009)年に復元されたものらしいです。(写真右ー現地の説明板の図 写真左下ー一の門 写真右下ー桝形)
でっ、ここの桝形の特殊性は桝形の前面にも空間が設けられていいること。 |
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馬屋曲輪(写真左上)
L字状の郭で規模は東西90m×南北100mほど。東ー南側縁に土塁が築かれ(写真右上)、南東隅に櫓が構えられていたのでしょう。(写真左) あまりに規模が大きいため
なんとも判断できませんが、ま〜〜〜、馬出だったのでしょう。 |
馬屋曲輪と二の丸は二の丸南東隅に設けられた銅門で繋がっています。(写真左下) 銅門はスロープ状の桝形構造になっていて、一の門は埋門形式の内仕切門(写真右下)、二の門は櫓門になっています。平成9(1997)年、復元。 |
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(写真左上) 銅門の桝形 |
(写真右上) 銅門の二の門 |
二の丸(写真右・左下)
規模は東西160m×南北200mほど、江戸期には藩主の御殿・殿舎、藩の行政施設が置かれ、明治期には御用邸が置かれていたようです。現在は公園として整備され、遺構等は見られませんが、南東端に昭和9(1934)年
隅櫓が再建されています。(写真右下) |
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本丸と二の丸との高低差は15mほど(写真左上)、本丸の周囲には濠が穿たれ(写真右上)、東側に設けられたスロープで常盤木門に繋がっています。(写真左) 常盤木門も桝形構造の城門で二の門は多聞櫓門になっています。(写真左下ー桝形空間) |
本丸の中央西寄りに設けられた天守は昭和35(1960)年、旧天守の模型を元に外観復元したもの。(写真右下ー100%同じではないようです) 石垣もこれに合わせて構築しなおしたもののようです。 |
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(写真右上) 旧天守は北条氏政時代の天正8(1580)年と寛永10(1633)年の稲葉氏時代、さらに大久保氏時代の宝永3(1706)年に建築されています。 |
(写真右) 南側の濠祉 |
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