増川八幡神社の創建時期は不明。菅江真澄の『男鹿の秋風』(文化七(1804)年)には「頭殿八幡宮」と記されています。神社に奉納されている「扇形懸仏」(額面は薬師如来)の奉書板(残欠が残存)には「男鹿嶋鱒川 享徳四年亥乙閏四月吉日 願主平泰春敬白」と記されており、この頃 平泰春(湊安東太郎成季に比定?)なる領主により創建されたものと推測されています。また社には延徳三年の記年銘のある「棟札」が収蔵され、そこには「湊安東二郎宗季」の名が記されていることから、当時 男鹿嶋は湊安東氏の勢力下におかれ、社は湊安東氏によって保護されていたと推測されます。本殿は三間四方の入母屋造、正面に唐派風の向拝が設けられています。また本殿内部には正面入母屋造、背面切妻造の「木造宮殿」が所蔵されています。「木造宮殿」は一間四方の一間社で、和様を基調としながら細かい部分には禅宗様を取り入れた室町後ー桃山期の作と推測されています。
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増川八幡の「棟札」(現地の説明板より)
「木造宮殿」は昭和38(1963)年、県の重要有形文化財に指定。延徳三(1491)年の「棟札」は平成11(1999)年、市の有形文化財に指定。また内部には円空作と伝えられる木造薬師如来座像が安置されているようです。 |
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