百 川 館
秋田県男鹿市脇本百川
立地・構造
 百川館は八郎潟の西岸、西から東方向に張り出した湖岸段丘突端(比高30m)に築かれた単郭構造の丘城で、西側の丘陵続きを堀で断ち切って館を独立させています。館の規模は100m四方ほど。本郭は東西60m×南北70mほど、西縁に堀に沿って高さ2mの土塁が15m築かれ、いたって単調な構造になっています。基本的に開発領主の日常居館として築かれたと思われますが、東麓に潟西街道が通っており、街道を扼する機能も想定されます。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。寛喜3(1231)年、小鹿島の地頭職 橘右馬允公業の子 乙王丸宛ての『将軍家政所下条案』『肥前小鹿島文書』)に「出羽国秋田郡小鹿島内桃河、吉田」と記されていて、橘氏の所領 「桃河」に橘氏から派遣された代官が拠していたとも推測されます。
歴史・沿革
百川館 西側の堀切
メモ
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形態
丘城
別名
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遺構
郭(平場)・土塁・堀・水の手?
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成18(2006)年9月14日 平成25(2013)年9月17日
百川館は八郎潟の西岸、百川地区背後の小高い丘に築かれた丘城で、南東麓に宝光寺があります。(写真左上ー東側からの遠景) でっ、館へは丘陵の北側に廻り込んだ車道を進むとアプローチしやすく、じきに進行方向左側に丘陵続きを遮断した堀切が見えてきます。(写真右上・左) 堀の規模は幅7−8m×深さ3−4mほど。
本郭(写真左下) 規模は東西60m×南北70mほど、西縁に高さ2mの土塁が15mほど築かれています。(写真右下) でっ、南西隅は3m切り落として小郭に加工され、水の手らしき窪地が見られます。
(写真右) 南西側下の水の手郭?、写真ではわかりずらいですが、水が滞留しています。
 
秋田の中世を歩く