染 川 城
秋田県男鹿市北浦相川
立地・構造
 染川城は日本海に面した段丘上(海面から比高20m)に築かれた丘城です。城の規模は東西280m×南北150mほど、城は北側を日本海に面した段丘崖で、東ー南側を小増川で、西側を大増川で画し、両河川を自然の濠としています。本郭の規模は東西140m×南北100mほど、内部は北側に主郭を、主郭
東ー南側下に二の郭を配した二段構造になっていて、両郭間は3−4mのなだらかな段差で仕切られています。また本郭の東側に日本海から繋がる沢が入り込み濠の役目をし、この濠の東側にも郭が設けられていました。なお日本海に面した北側は波浪により相当 侵食されており、本来はもう少し規模が大きかったものと思われます。

 築城時期・築城主体・城主ともに不明。染川城の北東5kmにある北浦日浦神社に康永3(1344)年、安倍兼季が建立したと記された棟札が残っています。兼季の出自は不明、南北朝期 小鹿島に入封した十三湊安藤氏の一族と推測され、染川城は秋田郡に入部した湊安東氏草創期の城砦と思われます。
歴史・沿革
染川城 南西側の堀切
メモ
湊安東氏初期の館城か?
形態
丘城
別名
三品城(『東日流外三郡誌』
遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
南西側の「菅江真澄の道」標柱のあたりに駐車スペースあり
訪城日
平成16(2004)年7月3日 平成18(2006)年11月9日 平成25(2013)年4月25日
染川城は北に日本海に面した段丘上に築かれた丘城です。(写真左上ー北西側からの遠景 写真右上ー西側からの遠景) でっ、城の東ー南側を小増川が、西側を大増川が流れ、染川城は両河川を自然の濠としています。(写真左ー大増川 写真左下ー小増川) 特に小増川は丘陵部に深く切り込み、城側は10m弱の断崖になっています。また日本海に面した北側は海風に晒され相当 侵食されていると思われます。(写真右下)
城へは南西側の国道沿いに「菅江真澄の道」の標柱が建てられ、ここからアプローチできます。(写真左上) でっ、しばらく進むと堀切が現れます。(写真右上) 堀切は南西側の丘陵続きを断ち切ったもので、規模は幅15m×深さ5−6mほど。
本郭(写真下) 全体の規模は東西140m×南北100mほど、内部は北側に主郭を、主郭の東ー南側下に二の郭を配した二段構造になっていて、両郭は3−4mの段で仕切られています。(写真右ー主郭主郭の規模は東西90m×南北30mほど。
(写真左上) 本郭 (写真右上) 二の郭
本郭の東側に日本海に繋がる沢が発達し、自然の濠となっています。(写真左) でっ、規模が小さいためハッキリ明言できませんが、もしかしたら、舟溜りが置かれていたのかも。でっ、この濠の東側にも郭が設けられていますが、車道建設により相当改変されているようです。(写真左下) 規模は東西40m×南北100mほど。
北浦神社(写真右上) 創建は康永三(1344)年卯月朔日 領主安部兼季右山王宮を再建す」とされます。
秋田の中世を歩く