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鵜木館は八郎潟西岸、西から東方向に張り出した段丘先端(比高30m)に築かれた丘城です。館のある丘陵は北東から北西方向に、南西から北西方向に入り込んだ沢を自然の堀として区画された単郭構造(複郭か?)で、規模は東西150m×南北200mほど。八郎潟西岸の沖積平野を見下ろす高所に位置しており、開発領主の日常居館として築かれたものと思われますが、同地は脇本ー檜山郡を結ぶ潟西街道が通る交通の要衝、また八郎潟を監視する高所に位置しており、交通権益を目的とした監視場の機能も想定されます。
築城時期・築城主体・館主ともに不明。在地 |
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の村落領主の日常居館と思われます。文禄4(1595)年、安東実季が発給した鵜木村の知行宛給に鵜木村の領主として竹内八蔵等八名が残っています。 |