 |
 |
 |
脇本城は脇本地区背後の丘陵上に築かれた山城で、日本海に張り出した要害地形に位置します。(写真左上ー東側からの遠景) でっ、城址は現在 国史に指定され、南東麓の国道101号から車道が整備されています。(写真右上)
車道は往時の大手導線 「天下道」に沿って敷設され(写真左)、以前は城内まで車で入ることができたのですが、現在 途中で車止されています。(写真左下・右下) なお駐車場は車止の手前にガイダンス施設があって、ここに駐車可能です。 |
|
 |
 |
 |
 |
南郭群(写真左上) 主郭から南方向に張り出した稜線を加工した郭群。規模は東西150m×南北250mほど、内部は東西の2段構造になっていて、東側の下段部分(写真右上ー東西70m×南北150m)は2条の東西仕切り土塁により三分割されています。(写真右)
また上段部分は最大3−4mの段で六郭に加工されています。(写真左下・右下ー東西50m×南北150m) 下段部に井戸祉らしき窪地が認められており、日常的な生活空間が設けられていたのでしょう。また西縁に高さ2−3mの分厚い土塁が築かれていますが、たぶん風除けのためなのでしょう。 |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
(写真左上) 南郭群最高所の郭 |
(写真右上) 南郭群西縁の土塁 |
南郭群の上段南端部分は近世の地震によって一部、崩落・消滅しているようですが、1郭だけ残存し、北部の郭群と土橋で繋がっています。(写真左) 郭の規模は30ー40m四方ほど、西縁に土塁が残存しています。(写真左下) |
南郭群・西郭間の堀は最大幅40mほど。(写真右下) 往時、「天下道」が堀底に沿って東西に縦断していました。 |
|
 |
 |
 |
 |
内館(写真左上ー西郭からの遠景) 城域の東端に位置し、規模は東西130m×南北70mほど。内部は巨大な土塁(写真右上)によって西、北東、南東の三郭に分割されています。(写真右ー北東郭 写真左下ー西郭 写真右下ー南東郭) 土塁は下幅7−8m×最大高4mほど、内部に安東氏の日常居館、政務施設が構えられていたのでしょう。でっ、大土塁の北側西面に土塁に切り込んだ館神祉が見られます。虎口は南東郭の南側中央と西郭の南西端に見られます。(南西端の虎口は後付けか?) |
|
 |
 |
 |

|
 |
 |
 |
(写真左上) 館神祉 |
(写真右上) 南東郭の中央南虎口 |
(写真左) 西郭の南西側虎口?(バッタものか?) |
(写真左下) 内館から脇本城下を望む。脇本城下は東西に細長い街村形態をし、城下への入り口部分に濠が穿たれ木戸口が構えられていました。 |
(写真右下) 内館・西郭間の堀は幅20−30m×深さ4−5mほど。 |
|
 |
 |
 |
 |
西郭(写真左上ー内館からの近景) 規模は東西100m×南北80mほど、内部は西から東側にかけて三段の郭群に加工されています。でっ、虎口は下段の南西端に堀から繋がる「折れ虎口」が設けられています。(写真右上) 規模は下段が東西20−25m×南北50m(写真右)、中段が東西30−35m×南北80m(写真左下)、上段が20−25m×30−35m四方ほど、中段の平場に2ヶ所
井戸が設けられていたようです。(写真右下) でっ、中段から上段へは北端に虎口が設けられています。 |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
(写真左上) 上段の虎口 |
(写真右上・左) 上段、写真ではわかりずらいですが、北ー西ー南縁に土塁がコ状に築かれています。「天下道」はこの郭の南側を通って西麓に繋がっており、この方向に対する番所的な性格があったのでしょう。 |
(写真左下) 上段の西土塁、高さ3mほど、馬乗り場へはこの土塁の後ろ側から稜線で繋がっています。 |
(写真右下) 上段の東土塁、南東隅は幅広になっていて櫓台が想定されます。 |
|
 |
 |