平安初期の女流歌人小野小町は「出羽郡司」として出羽国桐木田(現在の小野周辺)に下向した小野良真と地元の有力者の娘とのあいだに生れたと伝えられます。その後、小町は任期を終えた父とともに13歳で京にのぼり、宮中に仕える女流歌人(「六歌仙」「三十六歌仙」のひとり)として活躍しました。しかし小町は在京二十数年の後、故郷の小野に戻ると庵を組み和歌に明け暮れたと伝えられます。小町堂は平成7(1995)年、小町の霊を祀るために創建されたもの、同地はもともと深草少将が小町に贈った芍薬を植えた場所と伝わります。(場所はココです)
小町の句 (『古今和歌集』より) |
「花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」 |
「うつつにはさもこそあらめ 夢にさへ 人めをもると 見るがわびしさ」 |
「うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき」 |
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