御 返 事 城
秋田県湯沢市(旧雄勝町)桑ヶ崎御返事
立地・構造
 御返事城は雄勝盆地の南部、寺田川右岸の北方向に延びた丘陵ピーク(標高222m 比高80m)に築かれた山城です。規模は東西150m×南北300mほど。頂部に構築された主郭は東西10−15m×南北60−70mほど、北東側尾根を幅5−6m×深さ2mの堀で遮断し、南西ー南ー南東側の尾根筋は高さ3mの切岸で処理して城域を区画しています。主郭の東・西側は比高50mまでは急斜面ですが、それ以上は緩斜面になっています。全体的に加工度は低く、臨時の城砦として利用された「ムラシロ」と思われます。

 築城時期・築城主体ともに不明。一説に鎌倉期、雄勝郡に入部した小野寺経道に同行した郎党の御返事左近貞久が法領館 三浦氏に対する抑えとして御返事城を築いたことが初源とされます。御返事氏の詳細な事績は不明。戦国末期の当主 御返事貞元は天正14(1586)年の「有屋峠の戦」に小野寺軍の第一陣として出陣しています。文禄4(1595)年、山形城主 最上義光が雄勝侵攻を開始すると、御返事貞元は御返事城に籠城し最上軍を迎撃しましたが、八口内城草井崎城椛山館小野城、相川城等とともに最上軍の猛攻を受けて落城したと伝えられます。
歴史・沿革
御返事城 主郭北東側の堀切
メモ
小野寺氏の譜代 御返事氏の「詰城」
形態
平山城
別名
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遺構
郭(平場)・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成20(2008)年11月24日
御返事城は寺田川の東岸、御返事地区背後の丘陵上に築かれた山城で、麓との比高は80mほど。(写真左) でっ、城へは大手口が想定される北麓の神社参道から尾根を通り登ることができます。(写真左下) でっ、尾根上に神明社(写真中下)、太平山社が祀られる平場がありますが(写真右下)、後世の創建時のものなのでしょう。
北麓からの尾根道は非常に登り易い緩斜面ですが、左右は急斜面になっていて(写真左上)、しばらく登ると幅5−6m×深さ2mの小規模な堀切が見られます。(写真右上) でっ、堀切から主郭までの尾根稜線に特に城郭パーツは見られず。
主郭の規模は東西10−15m×南北60−70mほど、現在 愛宕神社が祀られています。(写真右) 内部は南から北方向に緩傾斜し削平も粗いようです。(写真左下) また南側稜線に堀は見られず、3mの段切が見られるのみ。(写真右下)
秋田の中世を歩く