回 館
秋田県横手市(旧雄物川町)雄物川町東里字回館
立地・構造
 回館は平鹿盆地の中央西部、雄物川右岸の微高地に築かれた平城らしいです。城の規模は推定 東西250m×南北150mほど、周囲を雄物川支流の旧流路で囲った単郭の城館で、もともと自然堤防を利用して築かれたものと思われます。単郭の城館としては規模が大きく、内部に領民の居住区域を設けた開発領主の日常居館と推測され、また水利を掌握する機能もあったのでしょう。現在、内部は宅地化され遺構
等は残っていませんが、周囲を囲った濠祉は明瞭に残存しています。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。菅江真澄の『雪の出羽路』「むかし此邑に山内式部某といふ武士住しが、小野寺に攻められ其館跡畑となりしが ・・・・・」と記されており、室町初期頃(?)まで山内式部なる村落領主が拠した居館か?。
歴史・沿革
回館 北西側の堀(濠)祉
メモ
・・・・・・・・・
形態
平城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀(濠)祉
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成25(2013)年6月14日
回館は雄物川の東岸、雄物川市街地南方の微高地(自然堤防)に築かれた単郭の平城らしいです。(写真左上ー北西側からの遠景) 館は大きく蛇行して雄物川に流れ込んだと思われる支流の旧流路を自然の濠とし、現在 内部の大部分は住宅地になっています。濠の規模は幅20−50mほど、現在 耕作地になっています。(写真右上ー北側の濠祉・幅50m 写真左ー北西側の濠祉・幅50m 写真左下ー南側の濠祉・幅40m 写真右下ー東側の濠祉・幅20m)
内部は大部分が住宅地になっていて、特に城郭遺構は残っていないようです。(写真左上) ま〜〜〜、常識的に開発領主の居館・開発拠点として築かれたと思われます。でっ、北端に正一位稲荷社が祀られています。(写真右上)
南側の車道沿いに「廻館遺跡 十三塚遺跡」と記された標柱が建てられていますが、回館とは直接関連しない弥生遺跡のもののようです。(写真右) でっ、回館と弥生遺跡の場所は重複していませんが、周辺は古くから人間の居住空間だったのでしょう。
秋田の中世を歩く