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餌釣館は比内盆地の中央東寄り、米代川右岸の南西方向に張り出した舌状台地先端(比高20m)に築かれた単郭構造の平山城らしいです。規模は推定 90−100四方ほど、西ー南側は段丘崖で画し、北側は浸食谷を自然の堀とし、東側の丘陵続きを幅7−8m×深さ3−4mの堀で断ち切って城域を独立させています。餌釣館は西ー南方向に米代川沿いの沖積平野を見下ろす高所に位置しており、在地勢力の開発拠点、日常居館として築かれたものと思われます。
築城時期・築城主体ともに不明。館主は『浅利與市侍分限』に記された比内浅利氏の被官 池内権助と推測されています。池内氏の出自・事績は不明、在地発生の開発領主と思われます。なお『長崎氏旧記』に「此時池内権助酌に立て勝頼を討たんとす、・・・・・其後比内市里と申す処にて、嫡子頼平 次男頼広、権助を見掛、追掛南部門野と申処にて権助を討取り候由」と記され、天正10(1582)年 浅利勝頼が檜山城で安東愛季に謀殺された際、権助は安東氏に加担したとされます。このため同14(1586)年、権助は勝頼の嫡子頼平、次男頼広に討ち取られたと伝えられます。 |
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比内浅利氏の被官 池内氏の居館 |
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平山城 |
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・・・・・ |
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郭(平場)・堀・土橋? |
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場所はココです |
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日吉神社の駐車場借用 |
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平成21(2009)年5月26日 |
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現在、館祉は日吉神社の社地になっていますが、内部は全体を見渡せないほど藪化しています。(写真左) 唯一 確認できるのが東側に残る堀のみ。(写真右) |
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