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川口館は比内盆地の西部、米代川右岸の河岸段丘先端(比高10−15m)に築かれた単郭構造の平山城です。規模は東西70m×南北30mほど、館の西側は山田川を自然の濠として取り込み、東ー南側は段丘崖、北側を幅10m×深さ4−5mの堀で断ち切り城域を独立させています。同地は比内盆地の西端、米代川に沿った狭隘地形が比内盆地に入る谷口に位置し、また米代川沿いの沖積平野を望む高所に位置しており、交通路を監視する性格を併せ持つ在地領主の日常居館と思われます。
築城時期・築城主体ともに不明。『郷村史略』に「此村は佐藤兵助と云者開基の村也 ・・・・・、一村皆彼が別家といふ旧家なり ・・・・・。古城 佐藤兵助が居住也、百姓に下りて城に八幡を勧請す。」と記され、また『浅利與市侍武限』に「武頭 川口村住居 佐藤兵助」の記載があり、館主は比内浅利氏の被官 佐藤兵助とされます。佐藤氏の出自・事績は不明、もともと この地の開拓領主と思われます。天正末期、浅利氏の没落により廃城か?。 |
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比内浅利氏の被官 佐藤氏の居館 |
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平山城 |
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郭(平場)・堀 |
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場所はココです |
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路上駐車 |
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平成21(2009)年5月26日 |
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川口館は川口地区の南西端、西方向に張り出した河岸段丘先端に築かれた単郭構造の平山城です。(写真左) 館の西側に山田川が南流して自然の濠となり、南ー東側は段丘崖で、北側は幅10m×深さ4−5mの堀を穿って城域を区画していました。(写真右下ー北側の堀)
でっ、現在 内部に佐藤兵助が廃城後に勧進した八幡神社が祀られています。(写真左下) 館から南側に米代川の沖積平野が広がり、佐藤氏は山田川の水口を掌握するため、この地に館を構えたとも思われます。 |
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