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前田館は比内盆地の南西縁、背後の丘陵から北東方向に張り出した微高地(比高3−5m)に築かれた単郭構造の平城です。城の規模は東西80m×南北80mほど、背後の丘陵続きを堀で断ち切って
館を独立させていたと思われます。現在、館祉は耕作地に改変され、また南側の堀は道路建設により消滅していますが、発掘調査から竪穴式住居、掘立柱建物祉が出土し、また堀は幅7−10m×深さ1.5−2mと確認されています。基本的に在地の開発領主 |
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が拠点として築いた日常居館と推測されます。
築城時期・築城主体ともに不明。館主は『浅利與市侍分限』に「七百刈 前田清左衛門」「四十石 御台所役 前田清左衛門」と記された前田氏と推測されています。前田氏の出自は不明、浅利氏が比内に入部以降 その支配下に組み込まれた「村地頭」と思われます。 |
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比内浅利氏の被官 前田氏の居館 |
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平城 |
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郭(平場)・虎口? |
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場所はココです |
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桂清水神社の駐車場借用 |
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平成25(2013)年5月21日 |
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前田館は比内盆地の南西縁、西側の丘陵上から北東方向に張り出した低丘陵先端に築かれた平城です。(写真左上ー南東側からの遠景) 丘陵は周囲の水田面より3−5mほど高い微高地になっていて、往時
周囲は湿地状の泥田堀だったと思われます。(写真右上ー北側の塁線 写真右ー東側の塁線) でっ、南側の丘陵続きは堀で遮断していたと思われますが、現在
この部分に車道が建設され堀の痕跡は見られません。(写真左下) また北側中央に塁線から内側に窪んだ箇所が見られ、ここに虎口が設けられていたのでしょう。(写真右下) |
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本郭(写真左上) 規模は東西70m×南北70mほど、現在 内部は耕作地になっています。なお昭和53(1978)年、発掘調査により内部から竪穴式住居、倉庫祉と思われる掘立柱建物祉や板塀遺構が確認されています。 |
桂清水神社(写真右上) 創建時期は不明。享保8(1723)年の文書に「前田村鎮守 桂清水観音社 別当扇田寺」と記されているようです。また享和2(1802)年、この地を訪れた菅江真澄は「うつし見る 月のかつらのかげきよく むずばぬ水も涼しかりけり」と歌を詠んでいます。 (写真左ー桂井戸) |
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