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大子内館は比内盆地の南西隅、西から北西方向に張り出した稜線突端(比高30m)に築かれた丘城らしいですが、館祉は植林事業、土砂採取により改変され、規模構造等は不明。
築城時期・築城主体ともに不明。館主は『浅利與市侍分限』に大子内館主と記された斎藤與平治と思われますが、また同書に大子内村在として「知行三百刈 大子内三十郎」「知行二百刈 大子内彦右衛門」「知行二百刈 大子内尾張」「知行二百刈 大子内宅之助」「壱知行百刈 大子内越前」 |
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の名が記されています。なお『郷村史略』に「古城 浅利の家士大子内三十郎といふ者居すといふ また斎藤與平治居すとも云」と記されているようです。 |
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丘城? |
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場所はココです |
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路上駐車 |
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令和2(2020)年11月26日 |
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大子内館は比内盆地の南西端、大子内地区背後の丘陵突端に築かれた丘城らしいですが ・・・・・、館祉は植林事業、土砂採取等により改変され、遺構等はないようです。(写真左上ー北側からの遠景
写真右上ー南東側からの近景) |
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