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土屋館は仙北平野の中央西寄り、丸子川右岸の微高地に築かれた平城らしいです。現在、城址周辺は市街地化により遺構は消滅し、規模・構造等は不明。
築城時期は不明。通説では永正5(1508)年、富樫左衛門忠之がこの地に進出して築いたと伝えられます。富樫氏は文和年間(1352−56年)頃、加賀国から仙北郡神宮寺に移り住み、富樫館を拠点としていましたが、忠之の代に仙北平野の中央部に進出して土屋館を築いたと推測され |
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ます。その後、天文年間(1532−55年) 富樫氏は角館城主 戸沢氏の支配下に組み込まれ、元亀元(1570)年 忠之の嫡子 左衛門太郎勝家の代に戸沢氏の命により高畑に孔雀城を築き移り住みました。 |
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仙北の在地領主 富樫氏の居館 |
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平城(方形館?) |
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場所はコノヘンらしいです |
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路上駐車 |
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平成24(2012)年6月2日 |
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土屋館は丸子川北岸の微高地に築かれた平城ですが(写真左)、周辺は市街地化により遺構は消滅し、現在 丸子川のたもとに城址標柱が建てられているのみ。(写真左下・右下)
ま〜〜〜、常識的に考えると丸子川を南濠とした土塁と濠で囲まれた方形館だったと思われます。なお西側に近距離で大曲城があります。 |
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