前 村 館
秋田県大仙市(旧大曲市)大曲四ッ屋
立地・構造
 前村館は仙北平野の中央北寄り、玉川左岸の微高地に築かれた平城です。城の規模は東西100−120m×南北250mほど、内部は南・北2郭の複郭構造になっていて、北郭主郭と想定されます。規模は北郭が東西60m×南北80m、南郭が東西(北辺60m・南辺120m)×南北100mほど、館の周囲は幅15−20mの濠で囲まれ、北郭・南郭間も濠で区画されていたと推測されます。基本的に開発領主の日常居館と推測され、築城当初の単郭構造の方形館を後世、複郭構造に拡張したものと思われます。現在、北郭は福昌寺境内になり、南郭は宅地化で消滅していますが、北郭
周囲に明確な濠祉が部分的に残存しています。

 築城時期・築城主体ともに不明。もともとは中世 戸沢氏の支配下にあった在地領主の居館と推測されます。慶長6(1601)年、佐竹義宣の秋田転封後 佐竹氏の分家 豊間盛定の家臣 小松久右衛門が居住したとされます。
歴史・沿革
前村館 北郭西側の堀祉
メモ
・・・・・・・・
形態
平城
別名
・・・・・・・・ 
遺構
郭(平場)・濠祉
場所
場所はココです
駐車場
福昌寺の駐車場借用
訪城日
平成19(2007)年7月19日 平成24(2012)年6月2日
前村館は玉川南岸の微高地に築かれた平城で、内部は南・北2郭の複郭構造になっています。館は濠と土塁で囲まれた典型的な方形館と推測されますが、宅地化等により遺構の大部分は消滅し、濠祉が部分的に残存しています。
北郭(写真左上) 主郭に想定される郭で規模は東西60m×南北80mほど、現在 福昌寺の境内になっています。周囲に敷設された濠は幅15−20mほど、東ー北ー西側は濠の痕跡が微かに残り(写真右上ー北側の濠祉 写真左ー西側の濠祉 写真右下ー東側の濠祉)、南郭間の濠は道路になっています。(写真左下)
南郭 規模は推定 東西(北辺60m・南辺120m)×南北100mほど、現在 宅地化により遺構は消滅し、規模・形態は不明瞭になっていますが、東・西側に濠祉を利用したと思われる用水堰が見られ、ま〜〜〜 南側が幅広になる台形状の郭だったと思われます。(写真左上ー西側縁部 写真右上ー東側縁部 写真右ー南側縁部)
秋田の中世を歩く