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大槻城は仙北平野の中央部、奥福部内川左岸の自然堤防上に築かれた平城で、東側は奥福部内川を自然の濠とし、北ー西ー南側はかすかな段差で区画された約100m四方ほどの城館と推測されます。現在、城址周辺は奥福部内川の河川改修、鉄道建設等により不明瞭になっています。現在、主郭と思われる場所に大日神社が祀られています。
築城時期・築地主体・城主ともに不明。地元には「むかし、大槻へ三人の殿 |
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様がやってきて、一人が戸蒔、一人が金沢、一人が大槻の殿様になった」という伝承があります。(時期不明) また大槻城の北方2kmに戸蒔城があり、戸蒔城の支城とする説もあるようです。 |
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平城 |
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堀祉? |
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場所はコノヘンらしいです |
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路上駐車 |
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平成19(2007)年7月19日 |
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大槻城は大曲市街地の南東部、奥福部内川西岸の微高地に築かれた平城らしいです。(写真左) でっ、城は奥福部内川を自然の濠とし、北ー西ー南側を堀で仕切っていたと思われますが、周辺は宅地化等で改変され明瞭ではありません。それでも北側に微かな段差が(写真左下)、南側にも堀状の地形が見られます。(写真右下)
現在、内部に大日神社が祀られていますが、遺構等は見られません。 |
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