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戸蒔城は仙北平野中央部、丸子川と奥福部内川に挟まれた微高地(比高5m前後)に築かれた平城で、二重の濠と土塁で囲郭された方形館と推測されています。現在、城址は耕地整理・宅地化で完全に消滅し、規模・構造等は不明。
築城時期・築城主体ともに不明。城主 戸蒔氏は甲斐武田氏の庶流と伝えられ(『戸蒔家伝記』)、室町期 仙北平野中央部を支配していた国人と推測されます。そして戦国期、角館城主 戸沢氏が仙北平野 |
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に進出する過程(16世紀初頭か?)で、戸沢氏の勢力下に組み込まれたものと思われます。『戸沢家譜』によると戸沢飛騨守秀盛の代に戸蒔市正の名が、秀盛の嫡子 飛騨守道盛の代に天文16(1547)年の「荒川合戦」後、荒川城主になった戸蒔越中守光祐の名が記されています。天正18(1590)年、豊臣秀吉の発令した「戸沢領内三十五ヶ城破却令」のひとつとして廃城。 |