猪 谷 の 関
富山県富山市(旧大沢野町)猪谷字峠
 正式名称は「西猪谷 口留番所」。越中と飛騨を結ぶ飛騨街道の要衝 猪谷に構築された関所で、越飛国境の通行人と物品の動きを監視するために設置されました。最初に関所が設けられたのは天正14(1586)年と伝えられ、寛永18(1641)年からは地元の橋本家、吉村家が代々 富山前田藩の関所番人をつとめ、関所機能は明治4(1871)年の廃止まで続きました。関所は神通川西岸の断崖上に構築され、飛騨街道を跨ぐように通用門が配され、街道の西側(山側)に番所建物(関所
現地説明板の図
番人 橋本家、山岸家の役宅)が設けられていました。そして番所建物から川手方へ十四間、山手方へ三十八間の矢来垣が敷設され、番所には常時 鉄砲二挺等が備えられていました。なお神通川を挟んだ南東1.3kmの神通川東岸に加賀前田藩の「東猪谷番所」が設けられていました。(場所はココです)
西猪谷関祉 
西猪谷関祉 
東猪谷関祉 
 (場所はココです)