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駒場城は仙北平野の中央東部、窪堰川左岸の微高地(比高5m前後)に築かれた平城で、北側を段丘崖で画し、東ー南ー西側を堀で区画した単郭構造の方形館と推測されます。明治期の公図によると城の規模は東西90m×南北70mほど、大正期までは堀が残存していたようですが、現在は龍像院境内、開墾等で遺構は消滅し、部分的に堀祉が確認できるのみ。
築城時期・築城主体・城主ともに不明 |
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。天正18(1590)年の「奥州仕置」で駒場村 七百八十七石は本堂城主 本堂伊勢守忠親に所領安堵されていることから、本堂氏の一族、家臣が拠した戸沢領との「境目の城」と推測されます。 |
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平城(方形館?) |
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郭(平場)・濠祉? |
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場所はココです |
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龍像院の駐車場借用 |
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平成20(2008)年12月4日 |
平成25(2013)年4月22日 |
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駒場城は窪堰川左岸の微高地に築かれた平城で、現在の龍像院境内が城址とされます。(写真左上ー北東側からの遠景 写真右上ー龍像院境内) ただし境内は後世、相当改変されているため遺構は消滅し、縁部の微かな段差で城域が認識できるのみ。(写真左ー北側の段丘崖・高さ3−4m
写真左下ー西側の段差 写真右下ー東側の堀状地形) |
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