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伝 楠正家の墓碑 |
秋田県由利本荘市(旧大内町)岩谷町字日渡 |
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楠正家は南北朝期の武将で官位は蔵人、左近将監。「河内の悪党」 楠木正成の一族(従兄弟、弟、子、孫説あり)と伝えられます。建武3(1336)年1月、正家は正成の代官として常陸国那珂郡瓜連城に入城し、北朝方の佐竹氏と対峙しました。しかし同年12月、佐竹勢の攻撃を受けた瓜連城は陥落し、正家は陸奥に赴き北畠顕家と合流したと伝えられます。その後、正家は畿内に戻りましたが正平3(1348)年、「四条畷の戦」で討死したと伝えられます。正家と大内町との関わりは不明、現地説明板によると 由利郡親川邑(現由利本荘市松ヶ崎)の楠家は楠木正成の末裔を称していたようです。墓石には「正四位上副将軍 楠木出羽守橘朝臣正家墓」と刻まれています。(場所はココです) |
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