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雲井城は井原地区南東側の独立丘陵 雲井山に築かれた山城です。(写真左上) 雲井山は麓の井原から見ると、聳えるような急峻な山容をなした山で、城は頂部の主郭部と南西側尾根の出丸からなります。城へは特に登山道はなく、管理人は西麓の天蔵寺(写真右上)の脇から山に入りました。(写真左) 山に向かうと古い墓地を過ぎ、山際から支尾根を直登して主尾根を目指します。(写真左下)
斜面はケッコウキツイですが藪もなく、また掴まるものも適当にあり比較的 登りやすく、約20分ほどで主尾根に辿り着きました。(写真右下) |
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主尾根を北進して最初に現れるのが尾根筋を遮断した堀切です。(写真左上) 規模は幅4−5m×深さ2mと小規模なものですが、さらに進むともう1条敷設され
二重堀になっています。(写真右上) でっ、堀切を越えると出丸部分になります。出丸は浅い堀(尾根鞍部?)で分断された郭群からなり、南側の郭は削平も甘く相当凸凹した郭です。(写真右) また北側の郭は東側縁に高さ1mの土塁が築かれた郭で規模は東西15m×南北30mほど(写真左下)、土塁の東側は主郭に向う導線になっています。(写真右下) |
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出丸の北側には鞍部を利用した堀切が穿たれ、急峻な断崖で山頂部に繋がっています。(写真左上) でっ、堀底には投石用と思われる礫石が相当量散らばっています。(写真右上)
堀底から主郭部までの高低差は30ー40mほど、急峻な断崖になっています。(写真左) でっ、斜面の中間には岩盤を削った浅い堀切が普請されていますが(写真左下)、前後が急斜面になっているため説得力があり、また堀底は長大な竪堀となって東・西斜面をズドーンと滑り落ちます。(写真右下) |
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三の郭(写真左上) 主郭・二の郭の西ー南側をカバーした幅10−15mの帯郭。二の郭との高低差は7−8mほど、南東側の大岩を木戸口とした坂虎口で二の郭に繋がっていたと想定されます。(写真右上) |
二の郭(写真右) 規模は30m四方ほど。 |
主郭(写真左下) 規模は15−20m四方ほど、西ー南側下に幅6−7mの帯郭が巻かれ、帯郭と二の郭との高低差は3mほど。(写真右下) 内部は全体的に藪化が進行しています。 |
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主郭背後は10mほど切り落として大堀切で処理されています。(写真左上) でっ、堀切は岩盤を砕き切った豪快なもの、さらに北側にも尾根筋を遮断する竪堀が見られます。(写真右上) |
戦国期、小笠原氏に従った井原氏は本明城主 福屋氏と対峙し、このため井原に隣接した福屋領中野に対する抑えとして、雲井城の西麓に平城(写真左)、稲積城(写真左下)が築かれていました。また弘治3(1557)年、吉川元春が雲井城攻略の際 向城として築いた東明寺山城は雲井山の北西2kmに位置します。(写真右下) |
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