寺 館
秋田県横手市(旧山内村)山内筏字橋野沢
立地・構造
寺館
は横手川上流部の右岸、南西方向に張り出した微高地先端に築かれた平城らしいです。規模は推定 東西90m×南北150mほど(?)。内部は東西2段の2郭構造だったようです。規模は西側の高台(
主郭
か?)が東西27m×南北62m、東側の平場が東西67m×南北60mほど。(
『山内村史』
の記載内容) 現在、東側の平場は頓信寺境内、耕作地、西側の高台(
主郭
)は墓地になっています。往時、横手川が館の縁部を巡っていたとされ、基本的に横手川の氾濫原を要害として
利用し、開発目的に取り立てられた在地領主の日常居館と推測されます。また南西300mに同時代に築かれたとされる
北館
があり、
寺館
はこの
「根小屋」
的な性格があったものと思われます。
築城時期・築城主体ともに不明。
『頓信寺由来』
によると同寺は源義家の旧臣 伊藤采女正宣秀の一族の菩提寺で、
「保元平治の乱起こるに及び再び都の戦乱に呼び寄せられる情勢に立ち到りしかば、乱世を避けんとして一族菩提寺諸共に ・・・・・、当山内筏に移り現在の地に寺を建立」
したとされます。この際、伊藤采女(六郷東根の土豪 伊藤采女正宣秀の三代の孫)は
寺館
から南西300mの地に
北館
を築き、
寺館
は根小屋的な性格で取り立てられたと思われます。
歴史・沿革
寺館 南西側からの遠景
メモ
中世の寺屋敷か?
形態
平城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)?
場所
場所は
ココ
です
駐車場
路上駐車
訪城日
平成29(2017)年5月18日
寺館
は横手川上流域の北岸、谷底平野に張り出した微高地に築かれた平城らしいです。(写真左上ー西側からの遠景 写真右上ー北東側からの近景 写真左ー南西側からの遠景 写真左下ー南側からの遠景 写真右下ー東側からの遠景) でっ、館祉は現在 頓信寺の境内になっていて、集合墓地になっている西側の高台(?)が
主郭
とされます。往時、横手川が館の東ー南ー西側を迂回し、横手川の氾濫原を自然の濠としていたのでしょう。なお館の北ー東側には堀の痕跡は見られません。
(写真左上) 頓信寺
(写真右上) 西側の高台、高さ2m。
比叡山神社(写真左下) 筏地区に鎮座する古社、
『比叡山神社縁起』
によると創建は大同3(808)年。中世、小野寺氏の崇拝を受け、天正4(1576)年
「二間四面南向、萱葺き」
の社殿が建立されたと伝えられます。境内に
「授乳の神木」
と称される筏の大杉があります。(写真右)
大杉は樹高43m×幹根12m、樹齢1000年以上といわれ、地上5.5mのところで主幹が東西に分岐しています。昭和63(1988)年、秋田県の天然記念物に指定。