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京兆館は三戸盆地の南西部、熊原川右岸の微高地に築かれた平城で、熊原川を自然の濠としています。城の規模は推定 東西60m×南北120mほど、西側を熊原川で画し、北ー東ー南側を人為的な堀で仕切った単郭の方形館と推測されます。現在、内部は耕作地になっていて遺構等は見られませんが、館祉は周囲より2−5mほど高くなっていて、また東側には堀祉が看破できます。同地は「鹿角街道」が三戸に入る谷口に位置しており、熊原川を惣堀として、これを監視、守備する機能があったものと思われます。
築城時期は不明。『三戸通神社仏閣地名書上』には「金堀館境ノ沢橋詰より南二丁程惣門堅 |
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目岩館京作之古館有之共に地名京兆と唱申候」と記され、三戸城の「沼尻惣門」を守備した岩館右京の居館とされます。(右京と京作が同一人物かは不明) 寛永9(1632)年、南部利直が死去した際、右京は殉死したと伝えられます。(京兆は右京大夫の唐名) |
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三戸城外郭の監視砦 |
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平城 |
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・・・・・・・・・ |
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郭(平場)・堀祉 |
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場所はココです |
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路上駐車 |
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平成24(2012)年11月14日 |
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京兆館は三戸市街地の南西部、熊原川右岸の微高地に築かれた平城です。でっ、館祉に隣接した道路沿いに説明板が設置されています。(写真左) 館は熊原川を自然の濠とし、熊原川に沿った「鹿角街道」が三戸に入る谷口に位置しており、これを監視・守備する機能があったと思われます。規模は東西60m×南北120mほど、内部は現在、耕作地になっていますが(写真左下)、周囲より2−5mほど高くなっていて、東側に堀祉と思われる窪地が見られます。(写真右下) |
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