目 時 館
青森県三戸郡三戸町目時
立地・構造
 目時館は馬淵川左岸の断崖上に築かれた平城(崖縁城?)で、大館・小館の2郭からなります。館の規模は東西180m×南北100mほど。館は西側を馬淵川の断崖で、北ー東ー南側を人為的な堀で区画し、大館・小館間も堀で分断されていたと推測されます。現在、館祉は北・南側の堀が埋められ、内部は企業用地・国道4号線建設で改変されているため遺構は消滅し、唯一 小館の東
ー南側の堀祉がかすかに確認できるのみ。

 築城時期は不明。館主 目時氏は鎌倉期、陸奥国糠部郡に下向した三戸南部氏(実光の頃か?)を供奉した南部譜代と伝えられ、南部氏領の南縁を守備する拠点として目時館を築いたとされます。目時氏の詳細な事績は不明ですが、室町ー戦国期には南部氏の重臣として家政を担い、戦国末期の当主 目時筑前は三戸城内に屋敷地を与えられています。
歴史・沿革
目時館 小館南側の堀祉
メモ
三戸南部氏の譜代 目時氏の居館
形態
平城
 別名
 ・・・・・・・・
遺構
郭(平場)?・堀祉
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車(路駐可能の路側帯あり)
訪城日
平成20(2008)年10月2日
目時館は馬淵川左岸の断崖上に築かれた平城(崖縁城)で、大館・小館の2郭からなります。(写真左上) 現在、大館は企業用地で改変され遺構は消滅し、大館・小館間を画した堀も国道4号の建設で消滅しています。(写真右上) また小館は一般の宅地・耕作地になっていて(写真左)、東ー南側に堀祉が確認できます。(写真左下ー東側の堀祉 写真右下ー南側の堀祉) 堀幅は20−25mほど。
馬淵川を挟んだ対岸1.5kmには「九戸の乱」時、目時館と対峙した九戸政実方の釜沢館があります。(写真右) ただ ・・・・・、どこが釜沢館かわかりませんでしたが ・・・・・。
 
秋田の中世を歩く