堀 田 城
秋田県大仙市(旧仙北町)払田館前
立地・構造
 堀田城は仙北平野の中央部、矢島川左岸の独立丘陵上(通称 真山 比高40m)に築かれた丘城で、大きくは東・西2つのピークに構築された主郭・西郭の2郭とこれに付随した郭群からなります。規模は東西400m×南北300mほど、主郭の南西側に2段、西郭の東側に1段 郭が敷設され鞍部で繋がり
現地説明板の図
主郭・西郭の周囲は段郭群・帯郭群が執拗に構築されています。規模は主郭が東西50m×南北100m、西郭が東西70m×南北50mほど。北西麓に幅10m前後の()祉が確認でき、ここに大手口が構えられていたのでしょう。同地は仙北平野、横手盆地を一望にできる高所に位置します。

 築城時期・築城主体ともに不明。堀田城の初源は古代蝦夷地開発の拠点となった払田柵とされ、室町ー戦国期 在地領主 堀田氏が拠していたとされます。堀田氏の出自・事績は不明、堀田城の東方1.5kmに本堂氏の本堂城があることから、堀田氏は本堂氏の与力だったと思われます。その後、戦国中期 角館城主 戸沢氏の勢力が仙北平野に伸張する過程で戸沢氏の支配下に組み込まれたとものと推測されます。
歴史・沿革
堀田城 高梨神社の祀られる主郭
メモ
仙北の在地領主 堀田氏の館城
形態
丘城
 別名  ・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・濠祉
場所
場所はココです
駐車場
池田家払田分家の駐車場借用
訪城日
平成19(2007)年7月11日 令和3(2021)年4月21日
堀田城は古代の軍事行政施設 払田柵西方の独立丘陵 真山に築かれた丘城です。(写真左上ー北西側からの遠景 写真右上ー南東側からの遠景) でっ、現在 主郭部分に高梨神社が祀られ南麓の鳥居から参道が敷設されています。(写真左ー南麓の鳥居) でっ、参道を登り切ると主郭・西郭間の鞍部に辿り着きます。(写真左下) 鞍部部分も郭の一部と思われ規模は東西60m×南北20mほど、管理人は まずはここから西郭へアプローチしました。(写真右下ー鞍部から西郭方向)
(写真左上) 西二郭、規模は30m四方
(写真右上) 西郭東側の段差 3m
西郭(写真左) 規模は東西70m×南北50mほど、北ー西ー南側下に幅2−3mの帯郭群が巻かれています。(写真右下ー北側の帯郭) でっ、ここからは仙北平野が一望にできます。(写真右下)
管理人は西郭から鞍部に戻り、主郭を目指しました。鞍部と主郭との高低差は15mほど、この間 鞍部に繋がる南西側斜面は2段の段郭に加工されています。(写真左上ー南三郭、東西50m×南北25m 写真右上ー南二郭、東西40m×南北25m)
主郭(写真右) 規模は東西50m×南北100mほど、現在 高梨神社が祀られています。でっ、東ー北側に1段 腰郭が、西ー北ー東側に2段 帯郭が巻かれています。(写真左下ー高梨神社拝殿 写真右下ー本殿)
(写真右) 北西麓の堀(濠)祉
 
秋田の中世を歩く