旧池田家は仙北平野中央部の田園地帯に位置する屋敷林に囲まれた散居形態の旧家です。敷地の規模は約12700坪(42000u)、広大な敷地は池田家の家紋になぞらえた亀甲型の平面形を呈し、周囲は石垣を伴う濠(堰)と土塁で区画されています。池田家は近世初期の高梨村肝煎をつとめた孫左衛門を始祖とし、文化年間(1804−1818年)頃 名字を許可され、幕末ー明治初期 大地主に成長しました。明治9(1876)年には耕地300町歩と山林原野を所収し、宮城の斎藤家、庄内の本間家とともに「東北の三大地主」と称されました。池田家は明治中期ー戦前まで高梨村の村長をつとめ、旧邸宅は明治29(1896)年 陸羽地震で家屋が崩壊したのを契機に、耕地整理事業にあわせて敷地を亀甲型の六角形に整地して建設されたもの。敷地の北側に主屋を取り囲むように築山や滝口を設け、石燈籠、景石を配し、水道施設やプール、運動広場が設けられていました。また敷地の南側に私設図書館として建設された洋館や講堂と称された武道館、家畜小屋、馬小屋、果樹園、菜園などが設けられていました。主屋は昭和27(1952)年2月に焼失、その他の施設も失われましたが、庭園および主屋の建物基礎や洋館、藥医門、米蔵、味噌蔵などが良好に残っています。主屋南西側の庭園は造園家
長岡安平が明治末ー大正初期頃に設計した「池泉回遊式庭園」で、隣接して巨大な雪見燈籠(高さ、笠の径ともに4m)が置かれています。平成16(2004)年2月、国の名勝に指定。平成19(200 |
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洋館と雪見燈籠 |
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現地リーフレットの所収図 |
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7)年11月、池田家より土地・建物の大部分と払田の柵内の所有地が大仙市に寄贈。(場所はココです) |
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