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現在、小峰城は城山公園として整備され、駐車場から本丸方向に進むと二の丸の南門に当たる太鼓門の表示があります。(写真左上) |
二の丸(写真右上) 本丸の南側に位置し、総石垣で築かれていたようです。周囲は濠と土塁で囲まれ、虎口は東(黒門)、南側(太鼓門)に開き、絵図によると内枡形だったようです。濠は西側の濠の一部が薄っすらと確認でき(写真左下)、土塁は東側のみ部分的に残存しています。(写真左)
城址碑とお城というのは被写体として絵になるものです。(写真右下) |
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小峰城の本丸はほぼ100l石垣で構築されています。東北の近世城郭でも、これだけの高石垣(写真左上・右上)で築かれた城は珍しく、徳川幕府が如何に小峰城を重要視していたかがわかります。でっ、二の丸から本丸へは清水門で繋がり(写真右)、その後 大手導線は南⇒東⇒本丸前御門へと繋がっています。(写真左下・右下) 前御門は平成6(1994)年、史実をもとに忠実に復元された巨大な櫓門で変則的な桝形構造になっています。 |
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本丸内部は相当広い空間で、御殿・殿舎等の建物はないものの公園として整備され、前御門に隣接して平成3年 御三階櫓が復元されています。(写真左上・右上)
でっ、北から西縁にかけて高さ3−4mの分厚い土塁が巻かれ(写真左)、土塁上の北西隅に雪見櫓が、南西隅に月見櫓と呼ばれる二重櫓が構えられていました。(写真左下)
でっ、虎口は東側の前御門のほか、南西側に桜御門が設けられ(写真右下)、こちらは一般的な通用門だったと思われます。 |
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近世城郭の特徴は突き詰めると高石垣・城塁と幅広の濠に集約されると思います。でっ、小峰城はというと ・・・・・ ありました。北側に巨大な濠が!!!。(写真左上) 濠は幅30m以上ある堂々たるもので、北東側に三の丸に繋がる内桝形構造の尾廻門が設けられています。(写真右) |
小峰城を一通り見て、もっとも度肝を抜かしたのが、三の丸北東側の城塁です。(写真左下) 城塁は高さ10m以上の丘陵縁部を利用したもので、2段構造になっています。(上段が高石垣で構築) でっ、塁線に連続して三の丸の北東虎口が設けられています。(写真右下) |
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