陣 ヶ 岡
岩手県紫波郡紫波町宮手・陣ヶ岡
立地・構造
 陣ヶ岡は北上川右岸の独立丘陵(標高136m 比高20m)で、南北に細長いなだらかな丘陵になっています。

 古くは延暦22(803)年、坂上田村麻呂が紫波城築城の際、陣ヶ岡に宿営所を置いたとされ、以後 諸々の勢力がここを陣所としています。
  • 康平5(1062)年9月、源頼義、義家父子が陣ヶ岡に宿営したとも。(「前九年の役」
  • 『吾妻鏡』によると文治五(1189)年九月、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が藤原泰衡を追い、陣ヶ岡に七日間宿営したとも。
  • 天正16(1588)年、南部信直が斯波詮直の籠る高水寺城を攻略する際、陣ヶ岡を陣所にしたとも。
  • 天正19(1591)年の「九戸の乱」時、奥州仕置軍の先陣 蒲生氏郷が陣ヶ岡に宿営したとも。
歴史・沿革
陣ヶ岡 西側斜面の横堀(八門遁甲陣堀)
メモ
古代 ー 源頼義・義家父子の陣所、源頼朝の陣所
中世 ー 南部信直の陣所
形態
陣所・宿営地
別名
・・・・・・・・・
遺構
堀祉
場所
場所はココです
駐車場
蜂神社・陣ヶ岡歴史公園の駐車場あり
訪城日
平成23(2011)年5月11日
陣ヶ岡は北上川西岸のなだらかな独立丘陵で(写真左上)、現在は蜂神社境内(写真左)、陣ヶ岡歴史公園になっています。蜂神社へは南麓から参道が設けられ(写真左上)、車で境内まで入ることが可能です。でっ、境内に諸々の史跡標柱が建てられています。(写真左下・右下) 
蜂神社(写真左) 「前九年の役」後、源頼義が創建した「蜂の宮」を初源とします。頼義は「前九年の役」で蜂の巣をまとめて安倍貞任勢に投げ込み、合戦に勝利したと伝えられます。
(写真左上) 安倍貞任の首級晒し場
(写真右上) 源頼義、義家のお手植え杉、「前九年の役」の際、頼義、義家父子が戦勝祈願のため植えたと伝えられます。現在は老朽化のため伐採され、覆屋が掛けられています。
(写真右) 王子森古墳、伝承によると蝦夷征討の為、この地に赴いた日本武尊の妃 美夜受比売 がこの地で男児を生みましたが、すぐ亡くなってしまいこの地に埋葬したとされます。(あくまで伝承です。基本的にはこの地の蝦夷の族長の墳墓とも)
(写真左上) 八門遁甲陣堀祉、南部信直の高水寺城攻めの際、構築された横堀と想定されます。(確証はありませんが ・・・・・)
(写真右上) 萬亀山千鶴寺祉、南北朝期、奥州探題として下向した高水寺斯波氏が十一面観世音を御本尊に創建したと伝えられます。
(写真左) 藤原泰衡の首洗い井戸、文治5(1189)年9月、贄の柵で河田次郎に討たれた藤原泰衡の首をここで洗ったと伝えられます。
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