亀 山 城
広島県庄原市(旧東城町)東城町小奴可
立地・構造
 亀山城は小奴可盆地の南端、南から北方向に張り出した丘陵突端(比高40m)に築かれた丘城です。城の規模は東西100m×南北150mほど、城縄張りは山頂ピークに構築された主郭を中心に北側稜線を段郭群に加工した単調な構造になっていて、二の郭の北側は大規模な堀切で切られています。規模は主郭が東西30m×南北40m、二の郭が東西20-25m×南北20mほど。なお西麓に日常居館が想定されています。

 築城時期・築城主体ともに不明。一説には平安末期、この地の領主 奴可入道西寂が居住したとも。(『源平盛衰記』『隠徳太平記』) 戦国期には備後宮氏の一族 小奴可(おぬか)宮氏が居住したとされます。天文22(1553)年、小奴可隆盛は尼子晴久に加担して久代宮氏とともに江田旗返城に出陣しましたが討死し、あとを継いだ盛常は毛利に出仕したと伝えられます。
歴史・沿革
亀山城 二の郭北側の大堀切
メモ
小奴可宮氏の館城
形態
丘城
別名
森次城・亀石城・亀割城
遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
北麓の堀田本家邸祉に駐車場あり
訪城日
平成21(2009)年3月19日
亀山城は小奴可市街地の南端、通称 亀山に築かれた丘城です。(写真左上ー北側からの遠景) でっ、城へは北麓の堀田本家邸祉の脇に誘導杭が設置されていて、ここから散策路が設けられています。(写真右上ー堀田本家邸祉 写真左ー登口) でっ、散策路を道なりに登ると前方に二の郭北側の急峻な切岸が見えてきます。(写真左下) 切岸は堀切とセットになったもので高さ7-8mほど(写真右下)、堀を挟んだ二の郭の北側にも段郭が設けられているようです。
二の郭(写真左上)
規模は東西20-25m×南北20mほど、北方に狭小な小奴可地区が一望にできます。(写真右上) 主郭とは高低差は高さ3mほど。
主郭(写真左下)
亀山山頂を加工した平場で、規模は東西30m×南北40mほど。思ったより規模は小さく、どちらかというと物見の性格が強かったと思われます。なお南側縁部には高さ2mの土塁が築かれています。(写真右下)
主郭の背後(南側)は7-8m切り落として稜線に繋がっていて、特に堀切は設けられていなかったようです。(写真左上) でっ、この稜線部分にはタタラ製鉄の採掘壙が残っていて、もしかしたらこのため城郭遺構が消滅したのかも。(写真右上)
主郭の西側下の微高地には城主の日常居館が構えられていたと伝えられます。(写真左) 現在、ここには県指定の天然記念物要害桜が植えられているようです。
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