「叶津番所」は古くは戦国期の天正16(1588)年、横田中丸城主 山之内刑部大輔氏勝が会津から越後に繋がる八十里越街道を扼する関所として設けたと伝えられます。その後、江戸初期の会津加藤藩時代(1627−1643年)、会津藩は役人を叶津に派遣し、この際 叶津村の名主
長谷部六左衛門が番人に任命され、以後 長谷部家が「叶津口留番所」の執務一切を執り行いました。そして この間の宝永元(1704)年、番所の傷みがひどくなったため番所は長谷部家住宅に移されました。慶応4(1868)年、「長岡戦争」で傷を負い会津若松を目指した長岡藩の家老 河井継之助もここで休憩したとされます。建物の規模は桁行24.35m×梁行10.15m。厩中門を付随した曲家構造の南会津最大の農家建築物です。建物は一部、三階建の寄棟造り、茅葺。昭和48(1973)年、福島県の重要文化財に指定。なお同じ敷地内には国指定の重要文化財
「旧五十嵐家住宅」が移築されています。(場所はココです)
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五十嵐家住宅
五十嵐家住宅は享保3(1718)年4月、滝口大作なる人に建てられた本百姓屋敷です。構造は桁行七間、梁行四間、中央に広い土間を持つ三間取の直屋構造。昭和47(1972)年、国の重要文化財に指定。 |
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