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参道と厄除杉
参道脇の「厄除杉」は幹周 5.2m、樹高 15m。「越智党」の領袖 越智邦澄が元弘2(1332)年、高取城を築城した際、植えたと伝えられます。 |
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山門
光雲寺五世 覚林浄省禅師の代に建立された鐘楼門。「扁額」は高取藩 九代藩主 植村駿河守家長の書。 |
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本堂
元禄11(1698)年、光雲寺四世 天湫元龍禅師の代に建立。県の重要文化財に指定。 |
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越智邦永・邦澄父子の墓所
「越智党」の領袖 越智邦永(写真左)は鎌倉末期の正和5(1316)年、北条得宗家に所領を搾取されたため叛乱を起こし、六波羅探題軍に討伐されたと伝えられます。(『大和国越智家系図』) 邦永の嫡子 邦澄(写真右)は南北朝期、南朝方に加担しています。 |
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