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管理人は実は30数年前、4年間 奈良に住んでいまして、でっ この頃 年2回(春・秋)は高取城に登っていました。っということで、30数年ぶりに登る高取城へのスタートは当時と同じく近鉄壺阪山駅になります。(写真左上ー北西麓(下子島)からの遠景 写真右上ー近鉄壺阪山駅) でっ、最初に訪れたのが壺阪山駅に近い子嶋寺で
ここの山門は維新後 高取城の二の門を移築したものです。(写真左) 二の門を見学後、管理人は高取城を目指してメインストリート「土佐街道」を南下しました。(写真左下・右下) |
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下屋敷門(写真左上) 江戸末期に城下に移された藩主下屋敷の表門。 |
松の門(写真右上) 明治25(1892)年に創立された土佐小学校の校門として移築された城門。 |
田塩家長屋門(写真右) 田塩家は高取藩士。長屋門は横格子の与力窓を二つ付け、両袖に監視所と馬屋をもつ堅固な表門遺構です。 |
植村家長屋門(写真左下・右下) 植村家長屋門は高取藩の筆頭家老 中谷家の表門として文政9(1826)年に竣工されたもの。 |
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上子嶋から大手筋は沢に沿って登るように設定され、谷口に高取城の一の門(黒門)が構えられていました。(写真左上) でっ、黒門をすぎ しばらく進むと植村家の菩提寺 宗泉寺があります。(写真右上ー本堂) 宗泉寺境内にはもともと植村家政時代の藩主邸宅が構えられていたようです。でっ、宗泉寺からの大手筋は谷筋に沿って設けられ(写真左・左下)、途中には立派な城址碑が建てられています。(写真右下) |
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七曲り(写真左上・右上) 急斜面を登るために何度も折り曲げたクネクネ登城路。 |
一升坂(写真右) 長く急な直線の登城路。名称は高取城築城の際、急坂のため石材を運搬する人夫に米一升を加増したことに由来。 |
岩屋不動(写真左下) 大手登城路から外れた場所にあります。案内杭あり。 |
猿石(写真右下) 黒門からの大手道と栢森 岡門口からの登城路が合流する箇所にある古代の石像。 |
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水濠(写真左上) 山城では類例の少ない遺構。幅15-20mほど、東縁に堀留を構築して留水し、堀留部分で水量調整していたようです。 |
二の門(写真右上) 城中枢部への入口。門は城下 子嶋寺に移築されています。導線沿いには崩れ落ちた石垣が各所に散見できます。(写真左) |
国見櫓(写真左下) 高取城の北西端に位置し、奈良盆地を一望にできることから国見櫓と呼ばれたようです。(写真右下) 櫓は二層櫓とされます。 |
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矢場門(写真左上・右上・右ー基壇石垣)
スロープ状の二折れ食い違い虎口になっています。でっ、矢場門を過ぎた導線はその後、郭間を通る堀底道になります。(写真左下) |
松の門(写真右下)
スロープ状のシンプルな平虎口になっていますが、導線には上位郭から横矢がかかる構造になっています。なお松の門は城下 上土佐の児童公園に復元されています。 |
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(写真左上) 松の門 |
宇陀門(写真右上・左) スロープ状の二折れ食い違い虎口。往時、基壇の石垣上に宇陀櫓・到着櫓が構えられていたようです。また門内部に普請小屋があったようです。 |
城代屋敷石垣(写真左下) この部分から三の丸になるようです。でっ、石垣の延長線に食い違い虎口の千早門が構えられています。(写真右下) |
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(写真左上) 千早門 |
大手門(写真右上・右) 本丸・二の丸に繋がる唯一の虎口。「御成門」とも呼ばれる巨大な桝形構造になっています。内部は二の丸の下段にあたり、石垣上に竹櫓が構えられていました。 |
二の丸十三間多聞(写真左下・右下) 二の丸下段から上段に繋がる小型の桝形虎口。 |
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二の丸(写真左上) 規模は東西70m×南北60mほど、周囲は打ち込みハギの高石垣で構築されています。(写真右上ー西側の石垣) でっ、往時 内部には藩主邸「二の丸御殿」が建てられ、玄関・御書院・大広間・湯殿・井炉裏間・廊下・雪隠等が設けられていました。また南西端に客人櫓が構えられていました。(写真左) でっ、二の丸に面した石垣上には二層の太鼓櫓と新櫓の二基が構えられ(写真左下ー太鼓櫓台石垣)、二の丸からの導線は十五間多聞に繋がっています。(写真右下) |
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(写真左上) 十五間多聞 |
(写真右上) 新櫓台・太鼓櫓台
櫓台に囲まれた空間は本丸の馬出として機能していたと思われます。 |
(写真右) 太鼓櫓台・十五間多聞 |
(写真左下) 太鼓櫓台 |
(写真右下) 新櫓台
台上には新櫓の礎石が残存しています。 |
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本丸の周囲は打ち込みハギの高さ8-12mの高石垣で構築され、隅部は算木積みで加工されています。(写真左上ー西側の石垣 写真右上ー大天守台の石垣 写真左ー東側の石垣)
でっ、本丸の虎口は北側中央に設けられ、導線はコ状に設定されています。(写真左下・右下) |
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(写真左上・右上) 本丸へのコ状導線 |
本丸(写真右・左下)
規模は東西75m×南北65mほど、内部は北西端の大天守(三層)と具足櫓(二層)、南西端の小天守(三層)、北東端の鉛櫓(三層)、南東端の煙硝櫓(三層)を多聞櫓で繋ぐ「連立式天守」構造になっていました。(写真右下ー南側の多聞櫓の基壇) また内部の中央西端には「本丸御殿」(本丸大広間)が建てられていたようです。 |
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(写真左上・右上) 大天守台、内部は穴蔵構造になっています。 |
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(写真左) 壺阪口中門 |
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