相 米 館
青森県三戸郡田子町相米字太田平
立地・構造
 相米館は相米川の中流域、相米川と柴倉沢に挟まれ西から東方向に張り出した丘陵突端(比高20m)に築かれた単郭構造の平山城です。館の規模は東西130m×南北300mほど、館の東ー南側は段丘崖で画し、西側の丘陵続きとは稜線鞍部で仕切られています。本郭の規模は東西80−90m×南北150mほど、本郭から北東方向になだらかに延びた稜線にも郭が設けられていたと思われますが未確認。大手筋は北東麓から北東側稜線を迂回するルートが想定され、本郭の北東隅に虎口が設けられていたと思われます。同地は極端な狭隘地形に位置し、要害性は薄いものの、水利を扼する要衝地に位置します。基本的には開発領主の日常居館として築かれたものと思われます。
 築城時期・築城主体ともに不明。館主 相米氏は在地名を称した在地発生の開発領主と推測されます。建久2(1191)年、南部三郎光行が陸奥国糠部郡に下向すると、館主 相米弥左衛門は蛇沼館主 蛇沼惣左衛門等とともにいちはやく光行に出仕したと伝えられます。
歴史・沿革
相米館 北東側からの遠景
メモ
三戸南部氏の被官 相米氏の居館
形態
平山城
別名
・・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・虎口?
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成26(2014)年9月12日
相米館は相米川の中流域、上相米地区西側の丘陵先端に築かれた平山城です。(写真左上ー北東側からの遠景) 館のある丘は相米川と柴倉沢に挟まれ西から東方向に張り出した低丘陵になっています。でっ、館へは北東麓から農道が設けられ(写真右上ー登口)、農道は人為的な堀底道を経て(写真左)、北側斜面を西方向に登り(写真左下)、北西隅でクランクしてさらに堀底道を通って(写真右下)、本郭北東端の虎口?に辿り着きます。たぶんこのルートが往時の大手導線だったような気もするのですが ・・・・・。
(写真左上) 本郭北東端の虎口?
本郭(写真右上ー北東側から 写真右ー北西側から 写真左下ー南東側から)
規模は東西80−90m×南北150mほど、内部は耕作地に改変されているため、特に遺構等は見られませんが、ムチャクチャ広いです。でっ、南縁の中央部にも虎口らしき切り込みが見られます。(写真右下)