棚倉城は久慈川左岸の低段丘上に築かれた平城です。城縄張りは本丸を中心に本丸を囲いこむように二の丸が敷設され、二の丸の北側に三の丸が配置された変則的な梯郭構造で構築され、規模は東西300m×南北400mほど。本丸の規模は東西110m×南北170mほど、周囲は幅25−30mの濠と幅7−8m×高さ5−6mの土塁で囲まれ、北西、南西、北東端の3ヶ所に隅櫓が構えられていました。虎口は北側中央と南東隅に設けられ、南東隅の虎口が大手口とされます。虎口はともに桝形構造で構築されていますが、追手門は外桝形、北門は内桝形で構築され、それぞれ土橋で二の丸に繋がっていました。二の丸も周囲を外濠で囲まれ、北ー東ー南側に虎口が設けられていました。このうち東門が大手表門とされ、門から東方向に進むと棚倉街道に繋がっていました。現在、本丸は公園として整備され比較的 遺構は良好な状態で残存していますが、二の丸・三の丸は宅地化により遺構は消滅しています。
元和8(1622)年、常陸国古渡から棚倉に入封した丹羽加賀守長重は、入封当初 赤館を拠点と |

現地説明板の図 |
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